日本の金属の歴史


メソポタミア地方で発見された、これらの金属材料 と加工技術は、ヨーロッパ、アジアなどに広がり、日本へは紀元前200年頃(弥生時代初期)大陸から入ってきました。

弥生時代

日本に金属製品生産技術が定着していく過程について、次のように推察されています。

  1. 金属製品の使用段階・・外国より製品輸入
  2. 金属製品の制作段階・・金属原料を輸入し加工
  3. 金属原料の生産段階・・たたら等による精錬

このように、最初は鉄製の鍛造品や青銅器製品として入ってきましたが、やがて大陸から技術者集団が移住して鋳造品や鍛造品を生産したと推測されています。 日本の鋳物作りの最初は中国大陸から渡来した銅製品の模倣から始まり、その後銅鐸や腕輪、飾りの鋲など日本独特の製品が作られました。 銅製品については、主に装飾品や祭器などに使われ、実用品としては鉄で作るなどの使い分けも行われたようです。 流し込む鋳型として、最初は削りやすい砂岩などに製品の型を彫り、その窪みに流し込む開放型から始まり、次に2枚の型を合わせ、その隙間に流し込む合わせ型にするなど、石型から始まっています。 やがて、中国渡来の鏡の模様を真似ようと、平らにした粘土に鏡を押しつけて型をとり、これに溶湯を流し込むなど、石型より形が作りやすい土型に発展しています。 更に、現代のロストワックス法と同様に蝋で製品の形を作り、これを粘土質の土で塗り固め、焼いて蝋を流しだし、出来た隙間に溶湯を流し込むなど複雑な形状の製品も出来るようになります。 近年よく話題になります銅鐸についても、このような石型から始まり、土型に代わっています。 この銅鐸はこの時代を代表した優れた鋳造品といえますが、何に使用されたのか判っていません。 多分、祭祀などに使われたと考えられますが、次の古墳時代になると、生産が途絶えています。

初期の頃の石の鋳型(開放型と合わせ型)
初期の頃の石の鋳型(開放型と合わせ型)

合わせ型(釧を作る石の鋳型)
初期の頃の石の鋳型 合わせ型

土型
土型