日本の金属の歴史


奈良・平安時代

8世紀になると鉄および鉄製品の供給は、北九州、中国、近畿に限らず東日本まで普及するようになりましたが、まだ西高東低の状態にありました。

奈良時代の8世紀末以降には、排水・防湿のための地下構造の構築による炉底からの放熱の減少、増風と送風の分配の調節(例えば片側送風から両側送風への変更)、といった技術改良によって、銑鉄の鋳造が行われるようになりました。

聖武天皇(701~756年)が亡くなった頃に完成した東大寺正倉院には、天皇の遺品や貴族たちの献納物が収められていますが、多くの優れた工芸品の中には世界無比の刀剣類や多くの鉄製品が残っています。

奈良時代には日本の鉄加工技術は大陸技術の吸収獲得と独特の改良を経て精巧なものへと進み、平安時代以後の日本刀製作に代表される加工技術の飛躍的発展の基礎が出来上がったと考えられています。

794年に京都に遷都し平安時代に入ると、8世紀にみられた鉄生産の地域的な不均衡は、ほぼ解消し、平安時代9世紀末には地方に鉄生産が普及して、全国的に行われるようになりました。

日本刀においても、太刀の形が鎬造りで、反りの深い純日本式のいわゆる日本刀が出来上がりました。大陸から渡来した技術に更に一層の磨きをかけて進歩させ、美しい形のいかにも日本人好みのするものが生まれてきました。

日本各地への鋳物業伝播
日本各地への鋳物業伝播

日本各地への鋳物業伝播